あなたしか知らない

※許可を得て再掲です

去年の秋、友人の叔父であるEさんが亡くなった。自殺だった。

何がEさんを追い詰めたのだろう。友人は、Eさんがよく体調を崩して入院することがあったということだけしか知らないと言う。もしかしたら何かしら精神的な疾患を罹患していたかもしれないが、そんなことは憶測の域を超えない。

僕は飛び降りたあの日「やっと救われる!もう苦しまずにいられる!」と、死への恐怖や躊躇いはなく、清々しさと安堵感があった。これでもうすべてを放り投げることをゆるされたと。お酒も薬も飲まなかったのは"純粋な死"でありたかったからだ。僕はそのとき死というエネルギーを感じていた。

Eさん、あなたは死のエネルギーを受け止めることはできましたか?あなたは最期に何を思いましたか?

のこされた人間たちはそれぞれの後悔とかなしみを抱えながら、それぞれの信じるものに掴まって、それぞれになんとか毎日の生活へ戻っていった。友人もまたそうであった。ときどき息の仕方を忘れてしまいそうになりながら。

Eさんの死によって、友人は自身の死生観の変化を自覚した。希死念慮に振り回されながら、彼はなんとか足場を保っている。空虚感に苛まれても、自身の死について考える時間が増えても、ときに自分を傷付けることがあっても。

友人はただひとつ後悔している。「当然に明日はやってくる」と思っていたことを。Eさんは自分の意思で明日を捨てた。それを何人たりとも否定してはいけない。いや、することはできない。

今ではもう、とばした紙飛行機の行く先は知らない。拾い上げることもできない。

Eさんへ。あなたにどうか紙飛行機が届きますように。そしてあなたは、あなた自身の選択が間違っていたとは決して思いませんように。すり減っていく日々といのち。あなたにとってのしあわせが、しずかに、しずかに訪れますように。